今あるものを最大限に生かす生き方

子供の頃からずっと動物と共に暮らしてきた。

先祖代々犬猫好きで、一番多いときは犬3匹と猫8匹を飼っていた。

 

友人の中には、家庭の事情で犬猫が飼えない子達もいた。そんな子達からは、相当羨ましがられていたのを覚えている。

 

ペット達は大切にしていたし、迷い犬や捨て猫を見かけたら、弟と保護して看病しながら育てていた。

 

そんなにペットがいるのに、ある時期私はとてもハムスターが欲しかった。小学校で流行っていたのだと思う。

その頃の我が家は二番目の継父の実業のおかげでとても裕福だったので、母に頼むとすぐに5匹のジャンガリアンハムスターを飼ってくれた。

 

念願のハムスター!!!

とテンション高めだったのも数日。

面倒こそ見るものの、心の中はすでに《文鳥がほしい》に支配されていた。文鳥も、学校で流行っていたのだと思う。

 

ハムスターは離れの事務所で飼う事が出来たけど、さすがに猫が5匹もいる家で文鳥は飼えない。もちろん母にも無理と言われる。

 

しかしどうしても諦めきれない私は、母にお願いの手紙を書いた。

文鳥が飼えたら一生幸せなのでお願い』

そんな感じだったと思う。笑

 

私のしつこさに負けた母が、離れで飼う事と面倒を全て見ることを条件に1匹の文鳥を飼ってくれた。

本当に一生幸せ!な気分だった。数日間は。

 

次から次へとペットが欲しくなるのに、手に入れても手に入れても満足しない、終わらない。

 

当時10歳だった私が、なんだかおかしいなぁと気づき始める。

 

沢山持っているのに、私はなんで幸せじゃないんだろう。

 

 

当時から無駄に深く考え込むのが癖だったのと、書くことが好きだった私は、夏休みのコンテストに出す作文をこの事について書くことにした。

 

 

『私は物を手に入れるまでの道のりがワクワクして大好きだけど、手に入れてしまうとそれが終わってしまう。また、ほしいものを探さなきゃいけない。将来こんな感じで幸せになれるかと考えたらなれないでしょう。

これからは、持ってるものを最大限に生かす方法を考えることにします』(用紙8枚分の略でこんな感じ)

 

 

この作文は優秀賞を取って、読んだ祖父はとても喜んでくれたのを覚えている。地元のラジオで朗読して放送もされた。そのおかげで、そのテープが祖母の家に今もあり、何度も自分で聞くことが出来た。

 

 

この時感じたことは本当に大切な事だったと今でも思う。

大人になってからも、何度も何度も同じ気持ちになったから。

 

あの服が欲しい!と思ってやっと手に入れても、その服を一度も着ていないのにもう違う服が欲しいとか

 

好きな人と恋人になれたら、次は恋人の経済力を、次は結婚を、次は子供を、次は二人目を、次はマイホームを…

 

大人になればなるほど、欲しいものは増えていく。でも、やっぱりキリがなかった。

 

 

10歳の私が感じたように、今あるものを最大限に生かす生き方が、本当に幸せになれる生き方なんだろうと思う。

 

欲しがることはエネルギーにもなる良いことだけど、本当に今あるものでは足りないのか?と疑う。

そもそも、必要なものは全て手にするようになっているのではないか?必要ないから持っていないのではないか?と。

 

どこか、今をないがしろにしていないか?

 

今あるもので、楽しくなる方法はきっとある、と仮定して過ごす。それでも無かったら手に入れればいい。そして手に入れたら宝物にする。

 

[いつも何かが足りない世界]に生きるのではなくて、[満ち足りている世界]の中で生きると決める。

 

 

 

 

小学生の頃の自分に心から感謝したい。

欲しがりぐせをやめない限り、絶対に幸せには気づけないから。

幸せは今この瞬間にしかないのだと、これからも忘れずに生きていきたい。