気付くことは同時に何かを手放すということ
たとえば幸せに気付くことは、不幸だと思い込んでいた気持ちを手放すことだし
「ある」と気づいたら「ない」を信じていた自分を手放すことになる
心がめいいっぱいで、新しい気付きなんて全然訪れなそうだなと思う時には
逆に何かを手放してみる。
頑張りすぎていたら、頑張るを一旦手放して思いきり休んだり
思い出のものがどうしても捨てられなかったら思いきって断捨離してみたり
小さなものでも想いでも
一旦手放してみる
そうすると、大切な何かに気付くことがある
頑張らなくても案外生きていけたり
過去にはあまりパワーがないこと
その欲しいものが手に入らなくてもさほど困らないこと
あの人に認められたかったけど、別にあの人に認めてもらえたところで何も変わらないこと
今が何より大切だということ。
心がいっぱいいっぱいで苦しくなったら
何かを手放すと何かに気付く
くだらない思い込みを殴り捨ててやろう。
もっともっと幸せを築いていけるように
今あるものを最大限に生かす生き方
子供の頃からずっと動物と共に暮らしてきた。
先祖代々犬猫好きで、一番多いときは犬3匹と猫8匹を飼っていた。
友人の中には、家庭の事情で犬猫が飼えない子達もいた。そんな子達からは、相当羨ましがられていたのを覚えている。
ペット達は大切にしていたし、迷い犬や捨て猫を見かけたら、弟と保護して看病しながら育てていた。
そんなにペットがいるのに、ある時期私はとてもハムスターが欲しかった。小学校で流行っていたのだと思う。
その頃の我が家は二番目の継父の実業のおかげでとても裕福だったので、母に頼むとすぐに5匹のジャンガリアンハムスターを飼ってくれた。
念願のハムスター!!!
とテンション高めだったのも数日。
面倒こそ見るものの、心の中はすでに《文鳥がほしい》に支配されていた。文鳥も、学校で流行っていたのだと思う。
ハムスターは離れの事務所で飼う事が出来たけど、さすがに猫が5匹もいる家で文鳥は飼えない。もちろん母にも無理と言われる。
しかしどうしても諦めきれない私は、母にお願いの手紙を書いた。
『文鳥が飼えたら一生幸せなのでお願い』
そんな感じだったと思う。笑
私のしつこさに負けた母が、離れで飼う事と面倒を全て見ることを条件に1匹の文鳥を飼ってくれた。
本当に一生幸せ!な気分だった。数日間は。
次から次へとペットが欲しくなるのに、手に入れても手に入れても満足しない、終わらない。
当時10歳だった私が、なんだかおかしいなぁと気づき始める。
沢山持っているのに、私はなんで幸せじゃないんだろう。
当時から無駄に深く考え込むのが癖だったのと、書くことが好きだった私は、夏休みのコンテストに出す作文をこの事について書くことにした。
『私は物を手に入れるまでの道のりがワクワクして大好きだけど、手に入れてしまうとそれが終わってしまう。また、ほしいものを探さなきゃいけない。将来こんな感じで幸せになれるかと考えたらなれないでしょう。
これからは、持ってるものを最大限に生かす方法を考えることにします』(用紙8枚分の略でこんな感じ)
この作文は優秀賞を取って、読んだ祖父はとても喜んでくれたのを覚えている。地元のラジオで朗読して放送もされた。そのおかげで、そのテープが祖母の家に今もあり、何度も自分で聞くことが出来た。
この時感じたことは本当に大切な事だったと今でも思う。
大人になってからも、何度も何度も同じ気持ちになったから。
あの服が欲しい!と思ってやっと手に入れても、その服を一度も着ていないのにもう違う服が欲しいとか
好きな人と恋人になれたら、次は恋人の経済力を、次は結婚を、次は子供を、次は二人目を、次はマイホームを…
大人になればなるほど、欲しいものは増えていく。でも、やっぱりキリがなかった。
10歳の私が感じたように、今あるものを最大限に生かす生き方が、本当に幸せになれる生き方なんだろうと思う。
欲しがることはエネルギーにもなる良いことだけど、本当に今あるものでは足りないのか?と疑う。
そもそも、必要なものは全て手にするようになっているのではないか?必要ないから持っていないのではないか?と。
どこか、今をないがしろにしていないか?
今あるもので、楽しくなる方法はきっとある、と仮定して過ごす。それでも無かったら手に入れればいい。そして手に入れたら宝物にする。
[いつも何かが足りない世界]に生きるのではなくて、[満ち足りている世界]の中で生きると決める。
小学生の頃の自分に心から感謝したい。
欲しがりぐせをやめない限り、絶対に幸せには気づけないから。
幸せは今この瞬間にしかないのだと、これからも忘れずに生きていきたい。
お金を使うのが怖い風俗嬢の話。
4年くらい前に取材で出会ったソープ嬢のIちゃんの話。(ちなみにそれ以来すごく仲良し。卒業済で現在は主婦)
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Iちゃんがら22歳で風俗業界を選んだのは、選択肢がそれしかなかったから。
彼女は持病が3つあり、長時間の労働が厳しかった。最終学歴は高校中退で、頼れるのは2つ上の兄だけだが、兄は結婚して家庭を持っていたため甘えることは出来なかった。
いろんな制度があるのかもしれないが、それすら知らない。でも、10代から働いていた工場が潰れ、東京にひとりぼっちの彼女は生活するために働かなければいけなかった。
いつもは無視する渋谷のキャッチで、すごく気の優しそうな男の子と出会った。その子の紹介で、Iちゃんはヘルスデビューをする。
家賃、携帯代すら滞納していた彼女からしたら、日払いで貰える4万円の初めてのお給料は夢のようだった。
数日働くだけで、ちょこちょこしていた借金を完済し、生活費を稼ぐためソープへ移ることに。
最初こそガムシャラで病むことすらなく働いていた。
しかし、月に80万円を超える収入を手にするようになってから、Iちゃんはある事に気付いた。
工場で手取り17万円を貰っていた頃よりも遥かに金銭面が豊かになったはずなのに、あの頃よりも贅沢が出来ていない、という事に。
Iちゃんは2日で少なくても7万円は稼ぐ。
5日働けば、ハイブランドのバッグが買えるはずだが、彼女は買えないと言う。
「35万円稼ぐのに自分がどれだけ我慢して嫌な思いしたかを考えると、使うのが怖い。使うと、またあの嫌な思いをしなきゃいけないと思うと使えない」
それだけじゃなく、「必需品でも我慢出来るものは買いたくない、お金を使うのが怖い」
と言った。
彼女はとにかく今の仕事が向いていなかったのだ。苦痛で苦痛で仕方なかった。
貯金残高はどんどん増えていくのに、彼女の心はどんどん貧しくなっていた。
(これは風俗だから、というのではなく、自分が心底嫌だと思う仕事であるということ。人それぞれその仕事は違う。)
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この取材の一年後、Iちゃんはソープ嬢を引退して結婚していた。
生活費は月に5万円、自分のお小遣いは1万円の主婦。
「金額的にはかなり減ったけど、必要なものを気持ちよく買えるようになった。彼や家族のためを考えてお金を使えるようになったし、減る不安が無くなった。必要不必要なものもハッキリした」と言っていた。
以前と数字だけ見て比べると少なくなったように感じるけれど、彼女の心はとても豊かになっていた。
私は彼女から、〝心が貧しいと、物質的にどれほど豊かになっても本当の意味で裕福にはなれない〟ということを学ばせてもらった。
好きなことをやると豊かになる、というのはこういう事からも言えるのではないかと。
どんな時でも、自分の心を無視してはいけない。
好きなことをしようというより
まず、嫌な事をやめよう。
自分の心を豊かにするために。
今年の抱負
あけましておめでとうございます
今年は、すごく良い1年になりそう。
去年もめちゃくちゃ良い1年だったなぁ。
今年のおおきな目標はまだガッチリ決まってないけど、もうすぐ資格の試験だからそこはちゃんとやろう。。笑
あとは、
⚪行動の理由(行動しようと思った時の感情)を重要視する⚪
それをやろうとした理由が、不安や又は誰かに対していじわるな気持ちから発生していないか?をきちんと考えてから行動する。
そこにもし、自分を大きく見せたい・誰かに対抗したいなど、、そんな類いの気持ちがあったなら一旦立ち止まる。
逆に、与えたい気持ちや感謝心・自分から湧いてくる愛からくる気持ちから生まれた気持ちは直ぐに行動に移す。
⚪頑張り過ぎない⚪
私のような毒親持ちの元アダルトチルドレンは、油断するとすぐに頑張りすぎてしまう。
抜くところが分からず、頑張りすぎた方が楽だから。
しかも無駄な努力をして心労してしまいがち。
でも、身体は確実に歳を重ねてるし疲れも取れにくくなった。心労も溜まる。
だからそんなエネルギーの無駄遣いはやめて、人に頼る勇気を持つ。自分を労り受けいれる努力をする。
あとはかわらずに、日々の幸せに気付いていきたい。無いものを数えるより、有るものを数えて感謝して生きていく。
シンプルに、常識に囚われず自分の感覚を大切に生きていきます。
みんなが素敵な日々を過ごせますように。
いちばんこわいこと
私は本当に、失ってから気付くという事が怖い。
だからいつも、今ここにある幸せを必死に探している
無くなってから初めて気づいたなんて、もう今後一切思いたくない
収益化していたブログを手放してからの生活
完全に仕事としてやっていたホームページとブログを手放してしばらく経ったけど、びっくりするほど気持に余裕が出来た。
びっくりするほど心が晴れやか。
心底私には向いていなかったんだなと思う。
そういえば、トレンド系のニュースライターをやっていた頃もこんな感じだった。
元々流行に疎くてセンスもないし、正直ネットで何がバズっていようが興味もない。
そんな私が仕事だからと常にトレンドを追って、つまらなそうだけどみんな食いつきそうだからいいや~感でネタを見つけて書くのは、本当にしんどかった。
だけど続けたのは、寄稿していたのが『有名なサイト』だったから。それだけ。
本当にくだらないけど、とにかく肩書きが欲しかった。
学歴もない私がフリーでやっていくためには、コネと肩書きが必要だろうと考えていた。
芸能関係に知人が多く居ることを使ってやろうとも思っていた。(実際そっち業界バリバリの元彼に頼み込んだこともある)
そうしているうちに、書くことが憂鬱になった。小さい頃から、とにかく書くことだけが好きだったのに。唯一のものだったのに。
何でだろう。つまんないじゃん。あーやだ。
でも…よくよく考えたら、書くことが嫌いになったんじゃなくて、興味のないことを書くのが苦痛なだけだった。
こんな苦痛で書くことも嫌いになる事なら、やめちまおう。
社会不適合者イェーイな私は、気づいたら行動が早い。
あれだけ憧れた有名なニュースサイトのライターをやめた。紙媒体も全てキリよくやめた。
そのときも、今みたいな晴れやかな気持ちだった。
書くことだけは嫌いになりたくない。
お金にならなくてもいいから、嫌いになっちゃダメなんだと気付いた。
来年は、2年前から休止していた作詞のコンペ出品するために、以前お世話になっていた事務所に再所属する事になったので、適度に参加しながら好きな事だけ書いていくスタイルに変えていく。
だからもうコネも肩書きも何もいらない。
もう何も偽らない。
ドバドバ本音だけ出していこ!
諦める事の大切さ
諦めずに継続する事もすごく大切で素晴らしいことだけど
同じくらい、諦めることも大切なのかな、と思う。
とくに
人にすごいと思われること
これを辞めた時、すごく自由になるのではないかな。
人にすごいと思われるのを諦める
大きく見せようとする背伸びを辞める。
それは、等身大の自分を受け入れなければ出来ないことだけど。
等身大の、ありのままの自分を受け入れるのはすごく怖い。
自分の出来ないこと、嫌いな部分、平均より劣っている部分をしっかりと見て受け止めなければいけない。
いままで偽ってきた部分を目の当たりにすることでもある。
でも、同時に自分の良い部分にも気づくことが出来る。
自分自身の嫌いな部分を隠して偽って生きるより、自分の不出来を認めて、出来ないことは素直に他人に頼って生きる。
人より少し上手く出来る事は、人の為に惜しみなくやる。
どう思われるかより、どう思いたいかを重要視する。
そのために、人にすごいと思われることを諦める。
まだまだ諦めきれないけど、いつかきっと諦めきれますように。